第3章 ~消化器系疾患~
3.1 概要
 古くから人は、多くの消化器系疾患に悩まされてきた。日常生活で頻繁に起こる下痢や便秘、胃腸炎などから、死亡原因として上位に位置する癌など様々な病気がある。これらは特に、ストレスや食生活などが原因で引き起こされると考えられており、戦後からの生活の変化によってこれらの症状に苦しむ人が増えている。ここでは上に述べた3つの代表的な疾患について、漢方による治療法と、西洋薬による治療法を取り上げ、その相違を比較することで漢方の特徴について考える。

3.2 代表的な消化器系疾患と薬
(1)下痢,便秘
 下痢と便秘は一見すると正反対の疾患のように思われるが、ともに便通異常という症状の枠組みの中で考えることができる。下痢は、便中の水分量が増加した状態のことを指し、暴飲暴食や食中毒によって引き起こされる急性のものと、神経性の異常から起こる慢性のものに分けられる。原因としては、腸粘膜での水分の吸収が妨げられる吸収障害や、水分の分泌の亢進、また腸の蠕動運動の異常亢進などが考えられる。一方で、便秘とは満足な排便が行われない状態のことで、精神的な影響などから起こる一過性の軽度のものから、自律神経の異常や直腸癌によって引き起こされる重度のものまで存在する。これらはともに、日常のストレスや食生活、あるいは運動習慣の影響を強く受けることが分かっている。

(i)漢方による治療
 漢方では、便中からの水分の吸収を促進(抑制)することや、腸の運動を調節することで、下痢(便秘)の症状の改善を目標としている。ただし、最初に行われるのは日常生活の見直しからで、たいていの症状はこれによって改善される。それでも回復しない場合には漢方が利用され、一般に使用される漢方には以下のようなものがある。
・人参湯…手足が冷えやすく、尿量が多い方の、下痢・嘔吐・胃痛などに効果がある。まれに偽アルドステロン症という重篤な症状をもたらす。(甘草、蒼朮、人参、乾姜)
・半夏瀉心湯…みぞおちがつかえ、悪心や嘔吐、食欲不振などが見られる方の、下痢・消化不良・神経性胃炎・二日酔いなどに効果がある。まれに肝機能障害などの重篤な症状を引き起こす(6.2を参照)。(半夏、黄芩、甘草、大棗、人参、大連、乾姜)
・五苓散…喉が渇きやすく尿量が少ない、吐き気がする場合の、水瀉性下痢・急性胃腸炎などに効き目がある(4.2、5.2を参照)。(沢瀉、蒼朮、猪苓、茯苓、桂皮)
・桂枝加芍薬大黄湯…腹痛がし、腹部に膨満感がある場合の、便秘・しぶり腹に効果がある。まれに偽アルドステロン症を引き起こす。(芍薬、桂皮、大棗、甘草、大黄、生姜)
・大柴胡湯…体力があり、便秘気味な人の、常習便秘・胃炎・頭痛などに作用する。まれに間質性肺炎をもたらす(4.2、5.2、6.2を参照)。(柴胡、半夏、黄芩、芍薬、大棗、枳実、生姜、大黄)
・防風通聖散…腹部に皮下脂肪が多い人の、便秘・肥満症などに効果がある。まれに肝機能障害などを引き起こす(7.3を参照)。(黄芩、甘草、桔梗、石膏、白朮、大黄、荊芥、山梔子、芍薬、川芎、当帰、薄荷、防風、麻黄、連翹、生姜、滑石、無水芒硝)

(ii)西洋薬による治療
 下痢は、便が大腸にとどまる時間が短い、細菌の産生する毒素によって水分の分泌が促進されるなど様々な原因によって引き起こされる。これらの原因を取り除くことでほとんどの下痢症状は改善し、それぞれに対して治療薬がある。吸着薬は、化学物質や毒素に吸着してこれらが作用しないように働く。便を固くさせる二次的な効果もあり、副作用もあまりないが効果はやや薄い。腸筋弛緩薬は、効果が強いが副作用も大きく、大腸閉塞などを引き起こす可能性がある。そのため、感染症などの急性の場合に慎重に利用されている。また下痢による脱水症状が現れる場合には、点滴によって水分や塩類を補充することが大切である。

 便秘に対しては、適度の運動や繊維質の食事、充分な水分補給が最初に行われるもので、この組み合わせが最善の予防・治療法となっている。下剤も使われるが、過度に使うと下痢や脱水症状、腹部のけいれんなどを引き起こし、適量を適時に利用することが重要である。また便の量を増加させる膨張性薬剤、便を軟らかくする便軟化剤なども用いられるが、それぞれに副作用があり積極的には使用されない。他には浣腸も症状の軽減に役立つ。

(2)胃腸炎,潰瘍
 胃腸炎とは、胃や腸の粘膜にできる炎症のことで、食欲不振や吐き気、不快感などを伴う。炎症がひどくなると潰瘍に進行し、それぞれの症状がより重度のものになる。出血や吐血、血便などを引き起こし、ひどい痛みを訴えるようになる。粘膜は刺激に対する抵抗があり酸性にも強いが、感染症や外傷、そして免疫異常などによって炎症を引き起こしてしまうことがある。細菌の持つ毒素によって粘膜が薄くなることや、手術や薬の刺激によって粘膜がなくなることで、その部分に炎症が生じるのである。また、ストレスなどによって消化液が過剰に分泌され、炎症から潰瘍にまで発展してしまうこともある。

(i)漢方による治療
 漢方では、主に胃の働きを抑えることで胃腸炎を治療する。つまり、胃液などの消化液の分泌を抑えることで粘膜に対する負担を減らし、症状を軽減させるのである。このために用いられる漢方としては以下のようなものがある。
・六君子湯…胃腸が弱く、食欲がない人で、貧血性で手足が冷えやすい場合の、胃炎・胃アトニー・胃下垂・食欲不振などに効き目がある。(蒼朮、人参、半夏、茯苓、大棗、陳皮、甘草、生姜)
・安中散…痩せ型で腹部の筋肉が弛緩しており、胃痛や吐き気がある方の、神経性胃炎・慢性胃炎などに効果がある。(桂皮、延胡索、牡蛎、茴香、甘草、縮砂、良姜)
・小柴胡湯…風邪の後期症状である吐き気や食欲不振などの他に、胃炎・胃腸虚弱などに効果がある(4.2、5.2、6.2を参照)。(柴胡、半夏、黄芩、大棗、人参、甘草、生姜)
・柴胡桂枝湯…体力がなく、風邪の後期症状が見られる場合の、腹痛を伴う胃腸炎に効果を発揮する。まれに肝機能障害や間質性肺炎などの重篤な症状を引き起こすことがある(4.2、5.2を参照)。(柴胡、半夏、桂枝、黄芩、人参、芍薬、大棗、甘草、生姜)
・半夏厚朴湯…気分がふさいで、咽喉や食道に異物感があり、動悸などがする人の、神経性胃炎・不安神経症などに効き目を持つ(6.2を参照)。(半夏、茯苓、厚朴、蘇葉、生姜)
(ii)西洋薬による治療

 胃腸炎に対する治療法としては、漢方と同じように、強酸である消化液を中和する、もしくは分泌を抑制する薬が一般に用いられる。酸性を中和するために制酸薬がよく使われるが、これは症状の回復よりも軽減に重点を置いたものである。軽度の症状ならば充分に治療することができる。ただし、服用回数が多い上に、下痢・便秘や食欲不振などを起こすこともある。消化液の分泌を抑制するための薬としては、ヒスタミンH2受容体拮抗薬やプロトンポンプ阻害薬がある。これらの方が効き目は大きいが、その分副作用も考えられ使用に慎重にならなければならない。また、粘膜を保護する薬や、細菌感染による炎症の場合には抗生物質も使われるが、抗生物質は時に重篤な症状を引き起こすこともあるので注意が必要である。そして、胃潰瘍などの胃腸炎が進展した症状に対しても、基本的にこれらと同じ薬が用いられる。投与する量や頻度を変えることで対応しているのである。

(3)腫瘍,癌
 腫瘍とは、組織の細胞が変異してしまったもので、良性の物と悪性の物の二種類がある。良性の場合には症状はほとんどなく、経過を観察しながら治療すればそれほど問題は起こらない。しかし、それが悪性に変わり、さらに癌まで進行してしまうと様々な重篤な症状を引き起こしてしまう。腫瘍が生じた器官によってその症状は様々であり、また原因も異なるが、ここでは消化器に関して考えるとする。例えば、食道にできた腫瘍が大きくなると、物がつかえて食べられなくなるために体重が減少し、また喉の神経を圧迫するために声がかすれるようになる。喫煙や飲酒、あるいは胃液の逆流による粘膜の損傷が原因と考えられている。胃に腫瘍ができる原因は未だはっきりとは分かっていないが、最近ではピロリ菌という細菌ではないかと考えられている。食欲不振、脱力などが見られるようになる。また、小腸の腫瘍はほとんどが良性であるが、進行すると血便や腸管閉塞による激しい腹痛などが引き起こされる。治療法としては、外科的な処置により腫瘍を取り除くことが最善であるが、癌細胞は転移しやすいためなかなか困難である。そのため、化学療法として様々な薬が用いられている。

(i)漢方による治療
 漢方では、最初に患者の体力・免疫力の向上を目標としている。患者自身の力を高めた上で治療を進めるのである。癌治療に用いられる漢方は、通常の漢方よりも成分が濃縮されており、1日の処方回数も多いため薬としての作用が早い。そのため、転移しやすい癌にも有効である。また、様々な生薬成分の混合剤であるため、癌が耐性を持ちにくく継続的に投与することができる。その上副作用もほぼないので、最近の癌治療では漢方も利用した化学療法が考えられている。
・天仙液…全身の癌に作用し、癌の転移を防ぐ効果がある。また、放射線治療などによる副作用を軽減させる。(花蛇舌草、麝香、氷片、山慈谷、蘇朮、熊胆、人参、黄蓍、天花粉、女貞子、真珠、青黛、龍葵)
・康楽液…各種の癌、特に胃癌に対して用いられる。また、放射線治療などで効果が薄い方の治療に使われる。(広東人参、黄蓍、早連草、巻柏、曼茶羅子、霊芝)
・双環…腫瘍の抑制や縮小、消失、また痛みの緩和に効果的である。各種の癌に対して、それぞれに適した異なる生薬の配合が行われ、様々に利用される。

(ii)西洋薬による治療
 癌に対する化学療法では、多種多様な抗癌剤が利用されている。抗癌剤とは、正常な細胞よりも、癌細胞に対してより大きなダメージを与えることを目的として作られている薬のことである。それによって、癌細胞以外の細胞に損傷を出しつつも、癌細胞を根治するのである。そのため、どのような薬も大小様々な副作用を持っている。また、どの器官にできた癌かによって使用する抗癌剤の種類・量は異なる。例えば、遺伝情報を司っているDNAの複製を阻害することで、癌細胞の増殖を妨げるアルキル化薬がある。この種類の抗癌剤には、主に骨髄抑制や脱毛などの副作用が見られる。代謝拮抗薬も同じような副作用を示し、また癌細胞の細胞分裂を阻害する抗有糸分裂薬や、ホルモン療法など様々な治療薬が使われている。これらの薬は概して副作用が大きく、投与する量や期間には慎重な判断が求められている。また、化学療法は放射線治療などの他の治療法と併用されることが多く、それぞれの特性を利用して治療が行われている。

3.3 漢方薬と西洋薬
 以上のように、消化器に関する3つの身近な病気・症状について、そしてそれに対して処方される漢方薬と西洋薬について考えてきた。その上で漢方薬と西洋薬の差を述べるとすれば、患者さんにどの薬を投与するかを決める基準ではないかと思われる。西洋薬では主に患者さんの症状で判断されて適切な薬が決められるが、漢方は患者さんの体質や家族の病歴までをも考慮した上で最適な薬の種類が決められている。もちろん、西洋薬でも体質などは判断材料として用いられるが、漢方はそれがより徹底している。様々な効用を持っている生薬成分が組み合わされた漢方だからこそ、それぞれに異なる患者さんの症状に適した処方を行うことが出来るのである。また、漢方薬は人の体力や免疫力を高めることを基本の方針としており、そのため慢性の症状などに効果を発揮しやすい。一方で、西洋薬ではいわゆる劇薬が利用されることも多く、急性の症状に対しては劇的な作用を持つものが多く存在する。そのことから、一般的に副作用が漢方薬よりも西洋薬の方が大きいことも説明できる。急性の疾患に対しては、多少の副作用を覚悟の上で効果の強い西洋薬を投与し、慢性疾患には、ほとんど副作用が見られない漢方薬を継続的に処方するのである。このように、それぞれが多用される症状には多少の棲み分けが見られる。

 しかし、同じ薬という枠組みで考えると、もちろん共通点を見ることも出来る。例えば、同じ症状に対して処方される漢方薬・西洋薬に含まれる成分は異なっていても、それらが持つ薬理作用は似通っている。これは、病気を引き起こしている原因は当然同じものなので、その治療の基本方針は漢方薬・西洋薬で同じようになり、必然的に薬の持つ作用も似てくるのである。また、ともに薬であるため、当然適切な量と頻度で服用・投与されなければならない。そうしなければ重篤な副作用が現れてしまうことは自明のことである。

 このように、漢方薬・西洋薬にはともに相違点や同じところがあり、またそれぞれにメリット・デメリットもある。それぞれを患者さんの症状に合わせてうまく使い分け、時にはそれぞれの薬理作用を考えた上で併用することで、様々な疾患を治療していくことが大切である。

不老不死への科学