第9章 〜漢方薬の意義と展望〜

 各論において漢方薬の効能を紹介するとともに、西洋薬との比較による意義の検討を進めてきた。ここで改めて漢方薬と西洋薬とを比較してみる。漢方薬も西洋薬も薬であるという点に相違がないのは当然である。そこで、薬の使い方、あるいは薬そのものに大きな違いがあると見なせる。

 まず、薬の使い方の違いとして、西洋薬は病名治療、漢方薬は随証治療という点が決定的だろう。西洋のアプローチでは、患者の状態を健常者の状態と比較して異常がある場合に、その原因及び異常のある部位を中心に症状を分類して病名をつける。各々の病気は発症の機序が分析されているので、この病名に従って適切な薬物を選択して治療を行うことになる。一方、漢方では患者の状態を症状と患者の状態、体質、特徴を中心に分類して証を与える。そして、病気の原因は問わずにこの証に従って治療を進めることになる。このような違いが生じるのはあくまで西洋の方法では病気の根本あるいは症状の原因となるものを治療することに主眼を置くため、この種類ごとに病気を分類し、命名する必要があるが、漢方では人が本来持っている自然治癒力を最大限に引き出すことにより根本治療を達成することに主眼を置くため、病気そのものよりもむしろ患者本人の身体的な状態ごとに分類する必要が生じるためである。

次に、薬そのものを物質としてみた際に、漢方薬は天然に由来する混合物ないしはさらにその混合物であり、西洋薬は純物質ないしは意図的に仕組まれた混合物である。この違いがまず漢方薬と西洋薬の特徴的な相違を明確にする。西洋薬の創薬におけるアプローチとして、ある疾患においてそれを改善し得る薬物作用点を考え、そこに作用する薬物を発見するというのが一般的である。このアプローチによれば、作用点に対して選択的に作用する単一の物質を取り出すことにより、その物質の薬理作用を保証できることになる。一方、漢方薬では専らある混合物を投与して効果があるか否かが主眼に置かれる。即ち、単一の作用点に対する作用を目的とするのではなく、様々な物質によるバランスの良い作用が目的となる。必然的に、治療効果が得られることがその物質の薬としての保証ということになる。また、この観点から西洋薬と漢方薬の副作用について考えてみる。西洋薬では作用点が基本的には一点であるため、その作用の強さが薬理作用を及ぼすのに決定的な要因となる。その作用点での作用が主作用のみしかないというケースでない限りは他に別の作用を持つことになり、これが副作用として表れることになる。さらに、主作用のみしかないというケースは、単一の物質が様々な作用を引き起こしている生体内においては事実上存在せず、西洋薬が副作用を及ぼしやすいということを明確にしている。一方、漢方薬は混合物であるため、このような西洋薬の欠点を補うことができる可能性がある。即ち、作用点が多数になることから、主作用を及ぼす作用点への作用によって引き起こされる副作用が、別の物質による別の作用点への作用によって抑制するというケースを考えることができる。このため、漢方薬は基本的には副作用は重篤でない場合が多く、西洋薬と比較して「副作用がない」と一般的に言われるようになった理由であるということになる。

 このような相違を考慮すれば、漢方薬と西洋薬の特徴として、漢方薬は急性疾患の治療に不向きであるが、慢性疾患の治療には向いているということがいえる。漢方薬はそもそも原因治療ではなく、体質の改善による自然治癒力の向上を目的とするため、一般には服用したらすぐに効果が出るという類のものではない。したがって、急性疾患に対して速やかにその症状を抑えることは困難であり、慢性疾患に対して徐々に回復を求める場合には有効であると見なせる。ただし、西洋薬は急性疾患に対して適用することもできるが、慢性疾患に対して適用することも原理上可能であることには留意しておくべきだろう。

 さて、このようにして漢方薬を理解した上で、漢方による治療はどのようなケースにおいて有効であるといえるのだろうか。ここまでに処々に書き挟んできた、患者の感覚重視・身体精神両方重視・全身的・原因でなく症状からのアプローチ・体質体力も考えた個別的治療などの漢方の特徴から以下のような場合に特に漢方が有効だといえる。

@原因の分からない疾患や病態が明らかでないケース
A原因や病態は分かっていても治療法の確立していないケース
B副作用などで、西洋医学の治療法が適応困難なケース
C心と身体の異常が絡み合っているケース
D病態が多部位にわたり愁訴の多いケース

突き詰めて言えば、西洋のアプローチが研究の進行上、あるいは事実上不可能な場合と要約することができるだろう。もちろん、これは現代日本の医療の現場では漢方薬の意義が見直されつつあるものの、やはり西洋薬が中心的役割を果たしている現実があるために生じる結論である。元来漢方薬を用いている文化の立場からすれば、逆に西洋薬が有効であるケースというのが以下のようにまとめられるだろう。
@急性疾患であり、西洋薬によってその治療が期待できるケース
A原因がはっきりとしていて西洋薬での治療効果が期待できるケース
B身体の状態、体質が安定せず、証がはっきりしないケース
C長期にわたる投与を行っても体質の改善が見られないケース

したがって、漢方医学の意義は西洋医学に対する優劣という観点には存在せず、純粋に西洋医学とは異なる種類の医学であるという点に集約される。あらゆる疾患に対して西洋医学によるアプローチも漢方医学によるアプローチもとることは可能であり、さらには両方を併用して治療することも可能である。つまり、西洋医学とは別の観点から病気の治療を進める方法として確立されている数少ない医学が漢方医学である。病気やその病気を患っている人によっては西洋薬を用いた治療が有効である場合もあれば、漢方薬を用いた治療が有効である場合もある。西洋薬によって治療が進まなかった人に対して漢方薬を適用することによって症状を改善できる可能性があり、その逆もまた然りである。さらに、漢方薬による自然治癒力の改善と西洋薬による原因療法・対症療法を組み合わせることによって初めて症状の改善が見られることもある。したがって、患者の治療への柔軟なアプローチを可能にする選択肢の大きな柱として西洋医学と対になるのが漢方医学と言えよう。

このように、治療のために重要な役割を果たし得る漢方薬であるが、漢方薬を敬遠する医者も少なくない。これは日本において科学が広まったため、天然物を基礎とした混合物であり、その作用機序が明確ではない場合が多い漢方を用いることには不安が残るためであろう。しかし、西洋薬は作用機序がはっきりしている場合が多いものの、経験則にしたがっているものも多数存在することを考慮すれば、中国において先人の治療経験が集積されてできた医療体系である漢方は信用するに足るものだろう。また、天然物を基礎とするため患者の体質に合えば耐性が生じにくく長期投与が可能であることも多く、天然物由来である点は一長一短である。このような漢方及び漢方薬の特質を理解した上で、漢方薬投与による患者の症状の変化の客観的データの収集や西洋薬との薬物間相互作用の研究を進め、個々の患者に対して漢方と西洋医学を適切に組み合わせた治療を行っていくことがよりよい医療を育むことにつながるだろう。

不老不死への科学