概論


死を恐れるという事は智彗がないのにあると思っていることに
他ならないのです。
それは知らない事を知っていると信じていることになるのです。
Byソクラテス

死を願望するものは惨めであるが、死を恐れるものはもっと惨めである。
Byハインリヒ4世

眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。
抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ。
Byサルバドール・ダリ


はじめに

一般的に「人はいつか必ず死ぬ」「死は避けられない」という考えが社会に受け入れられている。しかし今の生命科学の研究は人間の寿命を延ばそうとする方向に向かっている。そしてこれから間違いなく人間の寿命は延びていき、それに伴い価値観やライフスタイルや法制度や哲学・宗教等も大きく変化していくはずである。人間の寿命がどんどん延びていくとすれば、短い時間の中で最高に効率の良い人生を設計しようという無難志向の考え方はもう古い。コンピューターに例えれば、今までは少ないメモリをうまく使ってなんとか作品を完成させていたが、これからは大容量のメモリを使ってなんでも好きなことができるといった感じだ。それに生命科学の研究は人間の寿命を延ばせるという期待感が一般に浸透したら、死の恐怖を緩和するために形成された哲学や宗教は全て崩壊するだろう。
存在する理由もないし、哲学や宗教のように実体のない不安定なものより科学に期待したほうが確実だからだ。と少しオーバーに言い過ぎたが、老化研究が社会に大きな影響を及ぼすことは容易に想像できることであるし、人類はこの問題に対して真剣に向き合わなければならない時に来ていると思うのである。そのため我々は以下のテーマを取り上げ研究することで、不老不死の実現性を考察していく。

① 老化はどのようにして起こるのか
② 現在までに行われている老化抑制・寿命延長に関わる研究について紹介(老化研究、再生医学、人体冷凍保存技術など)
③ 生命科学の知識、技術を用いて寿命を最大限に延長する方法を考察する
④ 不死が実現した場合に、生じてくるであろう問題点とその解決方法を考察することで、創造すべき世界について具体的な提案をする。
⑤ 具体的な老化予防策(老化を抑制する薬品)

注 ここで言う不老不死とは脳をはじめとした体の各部位の機能を永遠に維持させ続けるということであり、不滅を意味してはいません。

第1章 〜老化研究の概論〜

1.1 老化の定義
老化の定義は、「成熟期以後、加齢とともに各臓器の機能あるいはそれらを統合する機能が低下し、固体の恒常性を維持することが不可能となり、ついには死に至る過程」とされている。つまり、固体が成熟した後は年をとるごとに体内の環境を一定の状態に保つことができなくなり、衰えていくということだ。

1.2 老化学説
一口に老化といってもその過程は複雑であり、また様々な原因があるようだ。今までにも老化のメカニズムについてはいくつかの説が提案されている。それらの説を老化学説というのだが、それには次のようなものがある。
① プログラム説 老化はあらかじめ遺伝子にプログラムされた積極的な現象であり、寿命も遺伝子により制御されているという説。
② エラー説 DNA、RNA、タンパク質は突然変異や化学修飾により本来とは違った配列になることがある。このような変異(エラー)が蓄積して細胞の機能が正常に働かなくなったり老化が起こるという説
③ クロスリンキング説 コラーゲン等の物質は相異なる複数の高分子と結合して新しい高分子を作る(クロスリンクする)。このような物質は分解されにくく、細胞障害を起こしている可能性がある。これにより老化が引き起こされているとする説。
④ フリーラジカル説 原子は正に帯電した原子核とその周りを回る負に帯電した電子に分解できる。電子は一つの軌道に2個ずつ収容できるが、1つの軌道に電子が1個しか収容されない場合がある。このように対とならない電子を不対電子といい、不対電子をもつ分子をフリーラジカル(遊離基)という。このフリーラジカルは反応性に富み、タンパク質、核酸、脂肪などの生体構成成分と化学反応を起こして障害を起こす。これにより細胞機能を低下させ老化を引き起こすという説。
⑤ 免疫異常説 加齢に伴い免疫機能(体を外的から守ろうとする防衛機能)を担当する細胞の機能が低下し、自己の体の成分に対して抗体を形成することが増える。これにより体の一部を外的と見なして攻撃してしまい、老化が起こるという説。が、自己免疫疾患の多い女性の方が男性より長生きであるという矛盾が指摘されている。
⑥ 代謝調節説 細胞の代謝速度(代謝とは栄養物質を摂取し自体を構成したりエネルギー源とし、不必要な生成物を排出するといった物質の変動のこと)が細胞分裂速度に影響して、老化や寿命を支配するという説。代謝の高い動物ほど短命で、代謝の低い動物ほど長命という傾向があるようだ。
このように老化学説には様々なものがあるが、今のところ老化に関して確かなことはよく分かっていない。様々な要因(遺伝的な要因と環境的な要因)が体に障害を及ぼし、老化を引き起こしていると考えるのが一般的なようだ。

1.3 不老不死研究の現状
老化のメカニズムについては未だに分かっていないことが多いが、人間の寿命を延ばすことは可能である。その1つの例としてカロリー制限がある。マウスやラットを使った動物実験で摂取カロリーを30~40%削減された場合、餌を制限されないものに比べて寿命が延長するという報告がなされている。それ以来、このカロリー制限の効果は多くの生物種で確認され、人を使った実験も公的機関で行われている。カロリー制限による寿命延長効果のメカニズムは解明されていないが、カロリー制限のメカニズムを解明しその効果のみを模倣するような薬剤ができれば、食事制限をせずに寿命を延ばすことができることになる。

カロリー制限模倣剤は現実にアメリカのベンチャー企業のいくつかが開発中である。

また人の細胞において活性酸素という非常に反応性の高い分子が定常的に作られている。活性酸素は生体成分に障害を及ぼすため老化の原因になっていると考えられているのだが、この活性酸素の生成を抑えるか、生成した活性酸素を除去することができれば人の寿命は延びると考えられる。アメリカでは活性酸素を除去する薬を使って線虫の寿命を1.5倍に延ばすことに成功している。

これらの研究は確かに老化を抑制し寿命をある程度延ばすことができるだろう。だが老化を遅らせるだけでは不死にはなり得ない。老化をくい止めるというアプローチの他に、老化の進行を逆戻りさせ若返らせる・老化により使えなくなったパーツを新しいパーツと交換する、または新しいパーツで補充する・肉体を一時的に保存するという方向から研究を行っていくことが必要条件だ。

例えば、人の体細胞は無限には分裂せず、分裂回数には限りがある。遺伝子は細胞分裂の度に複製されるが、両端のテロメアと呼ばれる部分は複製の度に短くなり、これがある長さまで短くなると細胞は分裂を停止してしまうからだ。つまりテロメアは体細胞の分裂時計の役割をしているのだ。しかし、このテロメアを延ばすテロメラーゼという酵素が発見せれていて、テロメラーゼを導入することで細胞を不死化させることに成功している。これにより老化した細胞を若返らせることができるかもしれない。だが不死化した細胞が癌化してしまう等の問題は残されている。

また再生医療の進歩により体の古くなったパーツを新しいものと取り替えることができるようになってきている。ES細胞という体のどの部分にもなることができる細胞を用いることで、皮膚や臓器や血管を作り出すことができるのだ。実際アメリカのジェロン社では実用に向けて再生医療の研究が行われている。この研究が進めば若い肉体を持ち続けることも可能かもしれない。だが脳は単純にこの方法を適用するわけにはいかないだろう。脳をまるごと交換してしまったら全く別の人間になってしまうからだ。だが神経細胞を再生することも可能になってきているので、ES細胞を用いて人間の脳の機能を回復させるといったことも十分にあり得る話なのだ。

このような状況を考えると不老不死を実現することもできなくはなさそうだ。ここで問題となってくるのはそれを実現するのにどれだけの時間がかかるかということだ。しかし我々が生きているうちに不老不死が実現しないとしてもまだ解決手段は存在する。それが人体冷凍保存技術だ。現在アルコー延命財団で遺体を冷凍している人が約70名、予約している人が約700名いる。液体窒素の中に人体を沈めてマイナス200度で保存されているのだ。こうすることで遺体を生き返らせることができるようになるまでしばらくの間眠りについているのである。これを使えば今生きている世代の人でも不老不死になることはできるかもしれない。だが今のところ解凍するときに細胞の組織が破壊されてしまうため、人間を生き返らせるまでには至っていない。

不老長寿は近いうちに実現するだろうと予測している研究者もいる。ケンブリッジ大学遺伝学者オーブリー・デ・グレイ博士はSENS(Strategies for Engineered Negligible Senescence)計画という老化を防止する計画を進めている研究者であるが、人間の寿命は20年後には1000歳以上になると言っている。1000年というのは、実際には永遠の若さを手に入れるだろうが、交通事故などに遭う確立を計算するとこれくらいということらしい。

グレイ博士

発明家・企業家のレイ・カーツワイル氏は、2030年頃にはナノテクノロジーにより作られたナノボットという非常に小さなロボットによって、人間の体と脳の内部で病原体と癌細胞を破壊し、DNAエラーを修復し、毒素や壊死組織片を破壊することにより、または老化作用を逆転させることにより、根本的な延命を実現するでしょうと述べている。

20~30年後に現実に不老長寿が実現するかどうかは分からないが、少なくとも時間をかければ実現する可能性はある。実際不老長寿を実現するべく研究を続けている研究者も少なくなく、不老不死を実現するためにバイオ関係の研究者になろうとしている学生も存在するのだ。ここまで研究が進んでいながら実はこの研究分野に関して一般的に正しく理解されていないことが多い。テレビ番組での紹介の仕方がかなり適当であることも原因の一つかもしれない。不老不死なんて無理だろうとか、仮に実現したとしても何らかの問題が生ずるだろうとか、永遠に生きる人生は退屈だろうという意見が多いようだ。だが不老不死は決して不可能ではないし、何らかの問題が生じたとしても綿密に計画された社会体制を築くことで解決できるのではないか。それに人生が退屈になるどころか、そのころには今以上に様々なエンターテイメントやサービスが存在し退屈することはないだろうし、何かを徹底的に極めたり、何らかの研究に没頭したりとやることなんていくらでもある気がする。そのような世界を実現するためにはこの研究について社会的に正しく理解されることが重要であると思う。そうすれば後続する研究者や支援する人が増え研究効率が上がるからだ。
この研究発表が少しはその役に立てばいいのだが。

1.4 老化研究の各論について
これから老化・老化抑制研究について紹介していこうと思う。参考文献としてわかる実験医学シリーズの「老化研究がわかる」を主に使用した。しかしこの本は2002年1月1日に発行されたものであるため、2002~2005年までに進展した研究については他の文献を補助的に使用して内容を付け加え、まとめ直すという方法をとった。また「老化研究がわかる」には紹介されていないが不老不死の実現に関係のありそうな研究については、それぞれ個別に調べることにした。

編集/井出利憲

不老不死への科学