第12章 〜人体冷凍保存〜
[概論]
かなりの低温において生物システムは数百年の間変化しない状態にある。そして蘇生させるのに物理的法則に逆らわない程度に状態を維持することができれば、未来において再び人間を生き返らせることができる可能性がある。
現在Alcor延命財団ではガラス化という手法を用いて遺体を冷凍保存している。これにより脳の超微細構造が保存されるようだ。
よって現在我々が生きているうちに寿命を大幅に延長する技術が完成しなかった場合にも、一時的に遺体を保存しておくことで、科学が進歩した時代に生き返り不老不死を手にすることもできるかもしれない。
この章では人体冷凍保存とは何かということを科学的に紹介していく。
[内容]
12.1人体冷凍保存(cryonicsまたはcryopreservation)とは何か?
人体冷凍保存とは人間が死んだ後、約-196℃という低温下において、生物学的変化がほとんど起こらない状態にすることである。遺体は液体窒素の中に入れて保存する。これにより物理的に取り返しのつかない状態になることなく遺体を保存することができたら、今日の患者が未来の技術の恩恵を受けられることになる。現在の医学で治療不可能な病気にかかっている患者もクライオニクスにより未来の世界で治療を受け、回復するということも可能になりつつある。不老不死の技術が我々の生きているうちに完成しなくとも、いったん生物学的な時間の進行を止め、不老不死の技術が完成した時代に再び生き返り永い時間を生き続けることも可能になるかもしれない。以下クライオニクスについて科学的に考察する。
12.2 臨床的な死を生き延びる
現在の法律では冷凍保存に関するあらゆる処置を行うのに、医師により死を宣告してもらう必要がある。法律的・臨床的な死は心肺停止後、有効と思われる蘇生方法を試してみた後に宣告されるため、ある程度の時間が経過してしまう。そしてその間、脳は一時的に無酸素の状態にある。脳は一定時間以上無酸素状態にあると回復不可能になる。
よって臨床的な死を宣告するまでの時間と脳が回復不能になる時間のどちらが長いかが問題となる。
だが犬において正常温で一時的に血液の流れを停止させる処置を行った場合、16分の間であれば何の脳傷害もなく回復することが実験的に示された。
Dog(犬の名前) |
Temperature(体温) |
Arrest Time(脳が無酸素状態にある時間) |
Cerberus |
35.9 |
14.25 min |
(アルコー延命財団ホームページより)
また1987年には猫に正常温において一時間完全に血液の流れを止める処置を行った後にその猫が生き延びたという報告がなされた。
このことから時間的限界は少なくとも60分であろうと思われ、これは死を宣告しクライオニクスの処置を実行するのに十分な時間である。
(アルコー延命財団ホームページより)
上図のように冷凍用の容器に入れられ、保存される。左の装置は胸を圧迫する装置で、法律的に死が宣告されるまでの後に体温の冷却を助けるものである。脳は温かい状態で長時間無酸素になると傷害が起こりやすいため、できるだけ低体温にするのが得策である。また脳に酸素を供給するために気管内チューブを用いて酸素を提供する。
(アルコー延命財団ホームページより)
これは冷却と血液循環を起こす装置である。血液を循環させることで脳に酸素を送ることができる。
右の図は上図の装置を使うことでどれだけ体温の低下速度が上がるかを示している。低下速度は何もしない場合の約15倍になる。
(アルコー延命財団ホームページより)
12.3 冷凍保存による傷害を防ぐ
人間の体の組織は大部分は水でできている(一般に成人女性で55~60%、成人男性で60~65%、高齢者の方では50~55%が標準的な体水分率と言われている)。生体内では水分は他の分子と混ざり合って存在しているが、組織が冷却されると水分子が集まり、氷の結晶を形成する。それにより非常に低温になると、氷の結晶は他の分子を締め付けるようになる。結晶は細胞の外側から、つまり細胞と細胞の隙間から形成されてくる。結晶が育つことにより、細胞の脱水と収縮が引き起こされる。最終的に細胞は傷つけられ、押しつぶされる。しかし冷凍保護物質と呼ばれる化学物質を水に加えると、分子が集まり氷を形成するのを妨げることができる。水分子が凍る代わりに分子が冷やされれば冷やされるだけゆっくり動くのである。-100℃以下になると分子は一定の箇所に留まり、凍ることなく固体になっていく。この現象をガラス化(vitrification)というのである。冷凍保護物質を加えることで氷が形成されなくなるため、細胞は何の傷害も受けない。最終的に細胞はガラス化され生物学的時間はストップする。
(アルコー延命財団ホームページより)
この図はある組織を単に凍らせたものと、ガラス化させたもので、ガラス化により組織が構造的な損傷を受けずに保存されることを示している。
この図は赤血球の細胞でグリセロールを増やしていったときに、形成される氷の結晶の量が減少していく様子を表している。上から下に行くほどグリセロールの量は増えていく。
(アルコー延命財団ホームページより)
このように冷凍保護物質によって、細胞の傷害は防ぐことができる。しかし冷凍保護物質は細胞に対する毒性があり、これが問題となってくる。
だが、毒性を大幅に低減できる新たな冷凍保護物質混合液の発見や冷凍保護物質の濃度を大幅に下げてもガラス化ができる添加剤(アイスブロッカーまたは氷遮断剤)の開発など、冷凍保護物質の毒性に対する対処索は存在する。
[考察]
以上のことを踏まえると、人体冷凍保存とは様々な危険性が存在する技術であるが、現在ではそれらの問題点はかなりの程度まで解決され、安全性の高い技術になったということができる。しかし冷凍保存で生き残れるからと言って楽観的になることはできない。実際人口が過剰になり資源も乏しくなっていくかもしれない未来においては、蘇生できる人数に限度があっても別に不思議ではない。その場合に社会に貢献できる人間と単なる金持ちとではどちらを蘇生させたいと未来人は思うだろうか?
(参考)
Alcor延命財団ホームページ