第8章 早老症と老化抑制遺伝子

最近の分子生物学の進展により、老化も生物学・医学の対象とすることが可能になってきた。とりわけ、Werner症候群(WS)といって、普通の人より早く老化症状が表れる常染色体劣性遺伝病がたった1つのWRN(Werner’s protein)遺伝子の欠損により引き起こされることが明らかにされたことは老化という複雑な生命現象を分子レベルで解明する糸口を提供した。WRN遺伝子はゲノムの安定化に寄与することで、老化の進行を抑制し、この遺伝子の欠損は早老症の原因となる。いわば、WRN遺伝子は“老化抑制遺伝子”であることが判明した。

8.1 Werner症候群(WS)

早老症とは多くが遺伝病であり、老化の指標となっているいくつかの症状が普通の人よりも早く表れる病気である。早老症にはプロジェリアやダウン症候群などがあるが、その中でも、特に注目されたのがWSである。WSでは引き起こされる早老症がたった1つの遺伝子に起因し、しかも生理的な老化にかなり類似している。このような理由により、WSは老化を分子レベルで研究するのに非常によいモデルになると考えられた。

WSは常染色体劣性遺伝病であり、普通の人より20年以上も早く色々な老いの症状が表れる。この老化現象は、実は、第8染色体の短腕に存在するたった1つの遺伝子に起因する。さらに、その遺伝子は*RecQ型のDNAヘリケースをコードしていることが明らかにされた。では、たった1つの酵素がなぜ広範な症状を伴う早老症を引き起こすのであろうか。

 RecQ型のDNAヘリケース
RecQ型のDNAヘリケースとは、大腸菌RecQ型のDNAヘリケース遺伝子とホモロジーを有する遺伝子によりコードされているDNAヘリケースである。ヒトには5種類のヘリケースが存在する。

8.2 WRN遺伝子の変異
WSはWRN遺伝子の変異を出発点として、WRNヘリケースが欠損し、DNA複製のエラー(複製時のDNAのもつれ亢進、DNA修復の異常)が起こり、ゲノムの不安定化(染色体異常)につながる。ゲノムの不安定化は細胞の機能障害、アポトーシス、悪性腫瘍をもたらし、さまざまな老化現象が現れることとなり、WSを発症する。この道筋のなかで、キーポイントとなるいくつかの事象が明らかになっている。

8.2.1 変異の種類と性質
現在までに日本人のWS患者では、9種類のWRN遺伝子の変異が確認されている。いずれの変異によっても、C末端が欠損したWRNヘリケースがつくられる。このような変異たんぱく質は核移行シグナルを欠き、そのために核へ移行できない。正常のWRNヘリケースは核に局在し、ここで重要な役割を担っていると考えられるので、変異ヘリケースの第一義的な機能障害は、核へ移行できないことにある。

8.2.2 WRNヘリケースの性質
では、核ではWRNヘリケースはどのような機能を担っているのだろうか。遺伝子工学を利用して作成したWRNヘリケースを使用して、生化学的性質を調べたところ、WRNヘリケースは次のような酵素活性をもっていることが明らかになった。

①DNA/DNAのホモデュプレックス及びDNA/RNAのヘテロデュプレックスを3’→5’の方向へほどく。ATP依存性のヘリケース活性
②DNA依存性のATPase活性
③エキソヌクレアーゼ活性。3’→5’および5’→3’の両方向へ分解する活性

8.3 ゲノムの不安定化

8.3.1 組換え亢進

細胞レベルで特筆されることは、染色体異常であり、それはゲノムの不安定化を反映している。WS細胞に見られる転座などの染色体再編成を伴う染色体異常は古くより報告されている。染色体異常は線維芽細胞及びEBVによりトランスフォームして得られるB-細胞株で観察されている。また、WS患者の線維芽細胞はテロメアの短絡が正常細胞に比べて加速されており、患者のB-細胞株ではテロメア長が短縮を繰り返すことがわかっている。このように、WS患者のテロメア及び、染色体は不安定化している。このようなゲノムの不安定化が起きる原因として、遺伝子組み換えが亢進している可能性が指摘される。

後述するように、ヒトではRecQ型ヘリケースはWRNを含め、5つ存在するが、出芽酵母では相当する遺伝子は1つだけである。この遺伝子に変異をもつ株では、相同及び非相同遺伝子組み換えが亢進しているが、このような変異株に正常なWRN遺伝子を導入すると、亢進した遺伝子組み換えが抑制されることがわかった。この事実は、WRNヘリケースがヒトでも、相同及び非相同遺伝子組み換えの抑制に関与していることを強く示唆する。DNAの複製では多くの一本鎖DNAが出現し、当然、部分的に相同及び非相同の好ましくない二本鎖がDNAが出現する可能性がある。それを放置するとそこで遺伝子組み換えが起こり、異常なDNAが出現するが、WRNヘリケースにより、このようなもつれを解消してやれば、不必要な遺伝子組み換えを防止することができるであろう。

8.3.2 修復異常
次に、WS細胞の特徴としていくつかのDNA毒に対して、高い感受性をしめすことがあげられる。カンプトテシン(CPT)と*トポイソメラーゼⅠの阻害剤であるが、WS患者のB—細胞に比べて、CPTに対して高い感受性を示す。また、WRN遺伝子をノックアウトしたマウスのES細胞及びトリのDT40細胞でも、CPTに対して高い感受性を示した。細胞をCPTで処理すると、核内でWRNヘリケースがフォーカスを形成することがわかった。このフォーカスには修復に関与するreplication protein A(RPA)及びRad51も存在する。CPTはDNAの二本鎖を切断することが知られている。このことにより、WRNヘリケースがDNAの修復に関与していると示唆される。*4NQDOに対しても、WS患者細胞は高い感受性を示すことが報告されている。

 トポイソメラーゼⅠ
DNAの超らせんを緩和する酵素で、二重鎖の片方の一重鎖DNAのホスホジエステル結合を切断し、その後切断したホスホジエステル結合を元に戻す。この反応を繰り返すことで、超らせん構造は緩和される。
* 4NQDO
4-nitroquinoline 1-oxideの略であり、DNA鎖を切断し、発癌物質として、知られている。

8.3.3 WRNヘリケースと共役するたんぱく質
WRNヘリケースがどのようなたんぱく質と共同して働いているか明らかにすることは、重要な課題である。上述した、RPA、Rad51のほかに、p53,Ku,SUMO-1などがWRNヘリケースと共役している可能性が示唆されている。これらのたんぱく質はWRNヘリケースとともに、DNAの修復などに関与していると思われるが、詳細はまだ不明である。

8.4 下流の変化の謎
これまで述べてきたように、上流ではWRNヘリケースはDNAの複製で生じるDNAのもつれを解き、また、DNA毒などで生じるDNAの傷の修復に関与することで、ゲノムの安定化に寄与していると思われる。では、ゲノムの不安定化が下流の早老症にどのように結びつくのだろうか。実は、この下流については不明な点があまりに多い。

8.5 ノックアウトマウスの謎

8.5.1 ヒトとマウスの違いを考察する

WRN遺伝子が早老症の原因遺伝子であることが判明したときに、WRN遺伝子のノックアウトマウスを作成すれば、早老症のモデル動物ができるのではないかと多くの研究者が考えたのは当然のなりゆきであった。世界で3グループがこのテーマに取り組んだが、大まかにいうと、WRN遺伝子のノックアウトマウスは早老症にはならなかった。数千年以上生き延びてきたげっ歯類でも、WRN遺伝子は正常に保持されているので、WRNヘリケースは種族保存のために何らかの重要な役割を担っていると考えられる。なぜノックアウトマウスは早老症にならなかったのだろうか。

一つの可能性は、体細胞でのWRNヘリケースの役割がヒトとマウスでは異なり、マウスでは老化に関係ない役割を担っていることである。マウスのWRNヘリケースはヒトのヘリケースと異なり、核小体には存在しないことが明らかになっている。しかし、この仮説では、ノックアウトマウスに目立つ形質の変化が表れないことが説明できない。

二つ目の可能性は、ヒトでもマウスでも、WRNヘリケースの欠損により生じるゲノムのエラーの蓄積は同じ速度で進行し、そのためにマウスでは寿命の範囲ではその効果が表れないというものである。ゲノムのエラーの蓄積が、生殖を基盤としたライフサイクルの速度にあわせて進行しなければならない理由はない。

8.5.2 不死化細胞におけるWRNヘリケースの役割

マウスではWRNヘリケースに限らず、多くのDNA修復酵素が生殖細胞でのみ高発現され、体細胞での発現は低いことがわかっている。マウスではWRNヘリケースは生殖細胞や発生の初期の特に増殖活発な細胞で主に作用しているのではないだろうか。この仮説を支持する次のような事実がある。

①マウスとヒトでWRNのmRNAの発現を比較してみると、マウスでは精子での発現が他の臓器に比較し圧倒的に高く、ヒトでは精子だけでなく、他の多くの組織でも高いレベルの発現が認められる。

②ヘテロの親を掛け合わせてできたノックアウトマウスの産子数は変異を全く持たないマウスの産子数は理論上は同じになるはずであるが、実際は前者の方が20%以上少なかった。

③EBVでトランスフォームした健常人のB-細胞株では細胞の一部は強いテロメレース活性を誘導し不死化するが、WS患者由来のB-細胞株では不死化細胞の出現頻度は極端に低い。

④癌細胞は基本的には不死化細胞と考えられるが、多くの癌細胞ではWRNヘリケースの発現が正常細胞の10倍以上に亢進していた。

これらより、

1,WRNヘリケースは最大寿命が3年と短いマウスでは、体細胞よりも生殖細胞あるいは初期の発生で重要な役割を果たしている。

2,生殖細胞や癌細胞のような不死化細胞では、永続的な細胞分裂の維持のために多くの場合、WRNヘリケースの高い発現が必要である。

と示唆される。

8.6 WRNとRTSからみた老化への筋道

WRNヘリケースはRecQヘリケースファミリーに属し、このファミリーには、5種類のヘリケースが存在することが分かった。そのうち、WRNとRTSが早老症の原因遺伝子である。

WRNとRTSはいずれも広い意味でのゲノムの安定化に寄与していて、その欠損により引き起こされるゲノムの不安定化とそのエラーの蓄積が早老症の根本原因と考えられる。このことは、われわれの生理的な老化の背景にもゲノムのエラーの蓄積があるという見解を支持する。WRNやRTSのような体細胞のゲノム修復に関与する遺伝子は老化を抑制している遺伝子ということになる。このような老化抑制遺伝子は、ヒトのような長寿命の動物ではその主な役割は生殖細胞にあると推定される。

(参考文献)
「わかる実験医学シリーズ 老化研究がわかる」編集 井出利憲 (羊土社)

不老不死への科学